チャリ旅 29歳の決意 第1話

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29歳。一般的には社会人と呼ばれ後輩ができ、バリバリと働いている年代ではないだろうか。

引きこもりになっている人もいる。起業して成功している人もいる。

晩婚と言われ久しい昨今ではあるが、結婚している人も多数いるだろう。

そんな中、私は花屋と米軍基地の清掃バイトを掛け持ちしながら体育系の大学に通っていた。

「学校に行かないのであれば出ていけ」

そのような方針の家庭であったため15歳から建築会社の寮に入り一人暮らしをしていたが、大学に通うということで実家に戻っていた。

様々な情況により致し方なく家に引きこもっている人をディスるつもりは毛頭ない。が、今思うと学校に行かないなら家を出ろ教育は、引きこもりになる余裕すら与えなかった。15で東北の家を出て上京し、磨き上げた頭脳と生真面目さでそれなりにのし上がった親父ならではの教育だったのか。

大学で近しくなった数名を除いては年齢を伏せていた。幸いなことに童顔だったため、それほど違和感なく付き合えたように思う。

なぜ、年齢を伏せていたのか。

それは実技の授業中、ある競技の世界選手権メダリスト26歳が張り切ってプレイをしていた際、それを見ていた現役学生に「あの人かなりジジイらしいよ」とディスられていたから…。

「メダリストでも歳が上だとディスられる世界・・・・。オレは実績もなんもない29歳・・・。しかも23まで高校生だった社会不適応人間。こりゃ歳がバレたらえらいことになるぞ!!」と驚愕したからだ。現役生からすると異物は汚物。そりゃ言いすぎか…。


大学は、楽しかった。


何が楽しかったか。


専門性が高く一流がそこら中にいること。
私が19歳から23歳まで通った定時制では、ほとんどの仲間が作業着姿で体育を行いスポーツ遊びに近かった。それはそれで楽しく、のちに振り返ると自分の原点だという認識は変わらずに持ち続けてはいる。

反面、大学ではオリンピアンやメダリストがゴロゴロいてスポーツをより専門的に学び、心から楽しんでいる(ように見えた)。

また、その人たちが競技者に戻った時の妥協なきトレーニング姿が格好良く、それを見ているだけで心が躍った。

競技で使用する器具などは自分で購入するのではなくスポンサーからもらっていることを聞いた時には衝撃を受けた。そういった姿を肌で感じたいがために授業後はトレーニングルームに行き、同じ空間で筋力アップに勤しんだ。

授業が楽しかった。
教授よりも准教授や講師の先生の講義や実技のほうが実習や体験的な学習の機会が多く、学びが多かったような印象がある。現役の学生が後ろの席に陣取る中、私は一番前の席で講義を受け、師(シラバスなどには~先生や~教授などではなく~師と書かれていたのも印象に残った)が話していることを必死にノートへ書き写していた。専門性の高い最新の講義を受け、学ぶことができる。

インフラに圧倒された。                                      広大な敷地。様々な用途に応じた建物や設備。扇形の斜めになっているホールのような教室。ピンマイクで講義を進める師。トレーニングルームやプールは日時指定はあるものの使い放題。歴史を感じさせる立派な図書館。

一番のカルチャーショックは学内にモスバーガーがあったことだ。一般的なモスよりも(つくり置き!)安かった。

大学の敷地内は街だった。

生まれて初めて目耳にし経験することばかり。そのような環境で学べることが何よりも嬉しく、1分1秒無駄にしたくなかった。


大学の夏休みは2か月間。
1年目の夏休みは遊びと趣味とバイトと勉強に励んでいた。 

2年目の夏休み。29歳。
29歳で2か月間休み。そう考えると、思いつくままにやってみたいことを思い切りやろう」

そのような気持が頭をもたげてきた。

そうだ、チャリで旅に出よう。どこかの島(できれば沖縄)に行こう。

第2話に続く

おっくん

おっくん

3児の父。一度きりの人生。焦らず腐らず諦めず。
19年の教員人生に終止符をうち起業。”自然の息吹を身に纏う”子どもたちのアパレルブランドT-ockbayを立ち上げる。

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