チャリ旅 初めての野宿 第5話

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この旅の目的について考えたことを記す

なぜ旅に出たのか

過酷で不便な非日常を楽しみながら日常では見えないものを見たかった。

日常では見えないものを見るためには、様々な方法がある。それはその人の置かれた情況や心情、目的によって変化する。その中で私は過酷なチャリ旅を選んだ。

メモには「未知の旅に出てワクワクしてみたい」と記されている。

本編に戻る

(*´▽`*)

海沿いを2台のマウンテンバイクが走る。『三保の松原』を通過。あの松林から見える景色に”再会”したかったが、ルートを逸らさなければならないことと暗闇(22時過ぎと思われる)であるため先へ進むことを優先する。

三保の松原

オレ:「三保の松原、行きたいけどやめておこう」走行しながらTスケに話しかける

Tスケ:「行きたかったんですか?」

オレ:「確か八年位前に来たんだよね。暗いし、何も見えないから行かなくていいや」と言いながら、八年前の8月の記憶が頭の中でよみがえる。

八年前、私は定時制高等学校に通っていた。20歳(2年生)の時だ。

すし店で板前修業をしながら通っていた定時制(4年制)。4年間続けた日常はこんな感じ。

5:00☛起床

6:00☛トラックで市場へ入り店のオーナーが仕入れた魚介類や食材を店へ運ぶ

7:00~13:30☛店に入りランチの仕込みをしてランチタイムをこなす

14:00~16:00☛夜の仕込み

16:30☛退勤して銭湯(からだが生臭い)へ

17:40☛車で登校して1時間目の授業開始

20:40~22:00☛授業終了後ナイターでサッカー部の練習

22:00~24:00☛すぐに帰るわけもなく、遊ぶ!飲みに行ったりすると朝まで!

〇店の定休日は水曜日。試合があるときの土日は特別にお休みをいただいていた〇

…我ながら過酷な日常…

万年寝不足。定休日の水曜日は授業の始まる夕方まで寝溜め。寝不足と疲れで情緒不安定になった時期もあったが、サッカーの練習と試合がストレスをすべて吹き飛ばす生きがいだった。

神奈川県大会を勝ち抜き、定時制通信制全国サッカー大会出場のため清水市を訪れた。その際に市内観光の一環として、顧問の先生が連れて行ってくれた。神奈川県代表の証であるおそろいのカモメマークポロシャツを着て、みんなではしゃいだ。

スパイク(当時は黒スパイクしか無かった。とにかく足が熱かった)に生卵を落としたら目玉焼きになってしまうのではないかと思うくらいに暑い中行われた1回戦の伏見工業戦。死んだばあちゃんが応援に来てくれてた。2-2の同点で迎えた後半43分に決めたハーフボレーでの決勝ゴール。2回戦の県立船橋戦は7番にチンチンにやられてボロ負け。負けたのに試合後はみんなテンション高くておどけてた。

ちなみに、

この生活を人に話すと「苦労したね」と言ってくれる。ただ、本人にしてみたら楽しい思い出の一つ。若いうちに経験できて本当によかった。私の原点。

・・・すべてがなつかしい

再び本編に戻る

(*´▽`*)

時間はすでに23時を回っている。そろそろ野宿先を探さなければ。

国道150号、イチゴ畑が左右に広がる『いちごライン』を通過する。

安部川周辺で野宿できそうな公園を探す。タイスケの地図を頼りに、寝床にできそうな公園にたどり着く。芝生の広場があり寝そべることのできるベンチもある。おまけに水道にはホースが付いている!

オレ:「この公園、最高の設備!

Tスケ:「・・ここですか・・・Tスケは宿で寝泊まりをしながら京都に向かうプランを立てていたため、あまり乗り気ではない。

そんなTスケをなだめ、

オレ:「先に体洗っていいよ」と伝えた。

Tスケ:「・・ここでですか・・と言いながら、遠慮がちに頭を洗って体をふいていた。ものの数分でTスケは洗い終えた。

私はパンイチでホースを使い体を洗った。石鹸で体を洗いながら、着ていたものも一緒に洗った。すべてを洗い終え、新しいパンツをはき、睡眠用のTシャツと短パンに着替えた。

最高の心地よさ!

ベッドであるベンチに戻ると、Tスケはすでに深い眠りについていた。

寝るの早すぎだろ・・・

(*´▽`*)

第6話に続く

おっくん

おっくん

3児の父。一度きりの人生。焦らず腐らず諦めず。
19年の教員人生に終止符をうち起業。”自然の息吹を身に纏う”子どもたちのアパレルブランドT-ockbayを立ち上げる。

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