チャリ旅 本来の業務 第9話

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漫喫を出てスカッとした青空の下、早朝で朝靄がかった京都の街を走る2台のマウンテンバイク。

国道のような太い通りを走行していると左側にとても立派な寺が現れた。

『西本願寺』だ。「すげぇ…」ふたりは吸い寄せられるように寺に入った。

Tスケは黙って写真を撮り始めた。

存在感のある太い柱。当然、改修などは施されてきたのだろうが、この柱は何年間大きな屋根を支え続けているのだろう。ありえないかもしれないけど、建立された当時からのものだったらすごい…。俺が今触っているこの部分を覚如(親鸞聖人の曾孫この寺の主要人物)も当時触ってたら同じところ触ってることになるぞ!

・・・いささかずれた歴史の感じ方かもしれないが、私にはそういうところがある(*´▽`*)

Tスケはシャッターを押し続ける。

私の(歴史についての)質問に、相変わらず正確に答えてくれる。

寺の一角は鉄骨が組まれ工事をしていた。

境内をひとしきり散策したのち、立派な門を出た。

西本願寺の前(Tスケが西本願寺に背を向け、かなり遠い反対車線の歩道に私が立つ。西本願寺は映っていない謎写真!)でTスケに写真を撮ってもらった。

それは人生の中でもお気に入りの一枚となった。

サムネイルにしようと思いきや、引っ越した際に断捨離してしまったようだ…痛恨!

境内を出て写真を撮ってもらったのち、大阪方面を指差し「オレ、こっちに行くわ」といった。

Tスケ:「まだ朝早いので少しの間ついていきます」

オレ:「そっか。オッケー」

どれくらい走ったのだろうか。結構ついてくる。いいんだけど。。。

私の肚は決まっていた。「再び一人でゼンシンあるのみ」

サウナに泊まった時に、別れの場面は頭の中でリハーサル済みだった。

国道クラスの太い通りを走っていると、ついに『大阪方面』の道路標識。

自転車を停める。「ここまででいいよ」振り返りながら言ってみた。

Tスケ:「naoさん・・・オレ・・・naoさんがいなかったらここまで来れなかったです…」

こみあげてくるものがあったのだろう。今にも泣きだしそうだ。いや、泣いてた。

そうきたか。これはやばい。別れはすでにリハ済み。

オレ:「東京で会おう!ありがとう!ほんじゃーね(^^✋」

私はリハーサル通り、至って明るく振り切るように走り出した。

・・・ここまでのチャリ旅を振り返ると,

ひとりで家を出て夜通し箱根越えに費やし、2日目の夜に静岡でTスケと出会った。

出会ってから1日目は静岡で野宿。2日目は愛知でサウナ。3日目は京都の漫喫に泊まった。

とても濃い3日間

Tスケは坂本龍馬の足跡をたどる旅。帰路は電車とバスで東京へ帰る。

オレは独りでできれば沖縄に行きたい。帰路も自転車一択。

初めから行先も目的も違う。

ゼンシンアルノミ

野宿をしながら一人旅。

私は本来の業務に戻った。

数か月後、東京で再開した。明大前駅の改札で待ち合わせ。会った瞬間不思議な感覚。数か月前は静岡県は沼津の路上で偶然出会い、京都目指して見知らぬ土地を汗と煤まみれになって走行した仲。

Tスケは確か〇学の写真部だったような気がする。オレと別れた後に撮影した写真を歴史的な解説付きでたくさん見せてくれた。なかでも坂本龍馬遭難之地は街中にポコッとある感じで、「え?ここ!?」イメージと違い印象に残った。現在はかっぱ寿司の敷地内にあるらしい。

Tスケ自身は軽やかな都会っ子(きっと本来の姿)といった感じでお話ししていて楽しかった。その後数年間、年賀状のやり取りが続いた。

現在は何をしているのだろう。また会ってみたいな(^_-)-☆

第10話に続く

さあ行くぜ!

おっくん

おっくん

3児の父。一度きりの人生。焦らず腐らず諦めず。
19年の教員人生に終止符をうち起業。”自然の息吹を身に纏う”子どもたちのアパレルブランドT-ockbayを立ち上げる。

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