チャリ旅 静岡を抜ける 第6話

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焼津10㎞手前 静岡市『東新田公園』

Tスケはよほど疲労していたのだろう。おやすみ5秒で爆睡。横たわっている体の周りには荷物が散乱している。私は散乱している荷物をまとめ、足元にそっと置いた。

洗濯したものを干すために、チャリに荷をくくるゴムバンドを木に引っ掛ける。体中に虫よけスプレーをかけ、寝ているTスケにもふりかけた。「んがっ!」Tスケがビックリして起きた。

「虫よけかけたよ。蚊取りも焚いておく」と伝えている最中に寝た…(-_-)

二人が寝ているベンチの間に蚊取り線香を焚き、床についた。

とても暑く持っていた寝袋は必要なかった。しばらくすると警察官が来て職務質問をされたが、やはりTスケは熟睡していた。

ちなみに静岡県は職務質問される回数が他県に比べ非常に多かった。警察官が言うには暴走族がとても多いそうだ。旅の途中出くわすことはなかったが。自分自身は『暴走』ではなく長い距離をできる限り交通ルールを守りながら『爆走』している。今は2台だが『族』ではなく『個人』。爆走個人疲れた頭で考えてみると、くだらなくて可笑しかった。

2XX1年9月1日 AM7:30

Tスケに起こされた。起こされたといっても私は眠ることができなかった。ようやくウトウトし始めたころに「naoさん、朝です」という声をかけてくれた。興奮していたのか、私の不眠は5日まで続く。

作戦では4時には起きて涼しいうちに距離を稼ぐ予定であったが、予定通りにはいかないものだ。身支度を整え8:00出発。天気は良好。昨夜寝る時にパラパラと小雨が降っていたため心配していたが、スッキリとした晴天だ。暑くならなければよいな…。

ここでTスケとの数日間にわたる日々のメモが途絶えている。薄まる記憶を頼りに本編を続けてみる。

何とか今日中に静岡県を抜けて愛知県に入りたい。それが二人の共通した目標だった。

道は果てしなく長い。そして暑い

焼津市あたりから、かなり遠回りとなってしまう海沿いルートを離れ東海道線に入った。途中で休憩をはさんではいたが「行けるとこまで行ってやるぜ!」私のテンションは高かった。

やがて掛川市に入った。10年以上前の18歳のころ、車と単車の運転免許合宿で2週間ほど滞在した地だ。

想い出が蘇ってくる…

  • 地元の女の子と仲良くなって…
  • この道通ったことあるぞ…
  • 『さわやか』(知ってる?)よく通ったな… さわやかはこちら
  • やることなくてパチンコばかり…
  • 自動車学校この通り沿いだったかな…
  • 食堂のおばちゃん元気かな…etc

まさかここまでチャリで来るとは思わなかったな

(*´▽`*)

ふと、後ろを走っているTスケを見た。

!!!(;゚Д゚)

澱んだ眼。埃と煤で黒くなっている小鼻。これでもかと言わんばかりに下がっている口角と眉。人ってこんな顔になるか?ってくらい疲れた表情。

オレ:(≧▽≦)「ダーハッハッハッハッ」思わず爆笑!

Tスケ:( ゚Д゚)「へ?」キョトンとしている。

オレ:「あーごめんごめん。すげー疲れた顔してるから可笑しくって。そんな顔にならないだろフツー」

Tスケ:「そんなにすごい顔してました?」

オレ:「してたしてた笑」

しばらくしてから振り返ると、Tスケの表情は明るくイキイキと笑顔で自転車を漕いでいた。

このやり取りは道中で数回あった。逆もまた然りで、私が疲れた表情をするとTスケに笑われた。笑われることで気を取り直し、とても前向きになることができた。

笑い合うことで支え合いが生まれていた

ひな壇芸人的な…笑

(*´▽`*)

孤独も楽しいけど同じような状況の仲間っていいね

(*´▽`*)

ついに横長の静岡を抜け愛知に入った。豊橋市を通過し刈谷市で寝床を探すことにした。

時間は22時を過ぎていた。

第7話に続く

静岡抜けたぜ!

おっくん

おっくん

3児の父。一度きりの人生。焦らず腐らず諦めず。
19年の教員人生に終止符をうち起業。”自然の息吹を身に纏う”子どもたちのアパレルブランドT-ockbayを立ち上げる。

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