チャリ旅 わかれのとき 第8話

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名古屋を発って四日市へ向かう途中、クロネコヤマトの集配場があった。寝袋と購入したお土産を家に送った。

9月とはいえ季節は夏。寝袋は全く必要なかった。

その他必要のない物も送ったためとても身軽になった。

面白いもので名古屋辺りから気が付いていたが、西に移動するにつれコンビニ店員さんの訛りが関西弁に寄って来る。

とにかく京都に向かうには、どのルートを選んでも山を越えなくてはならない。Tスケとルート会議を重ね慎重に道を選んだ。

道すがら立派な寺社仏閣・城などがあると、Tスケが解説をしてくれた。

タイスケ:「naoさーん!左に城が見えますよ!多分あれは〇〇年に誰々が〇〇のために建てたものですよ」

ん?・・・そういえば・・・岡崎城のときも城の歴史を紹介する看板と、あらかじめTスケが解説してくれた内容がほぼ同じだったぞ・・・。

撮影:Tスケ 岡崎城前

歴史的建造物や由緒ある場所などには必ず歴史や神話などを紹介する石碑や立看板があるものだ。

オレ:「城にちょっと寄ってみよう」試しにTスケが言った左側に見える城に寄ってみることにした。(どこのなんていう城かは忘れた)

ほどなくして城に着き、城前にある立看板を見る。

オレ:「・・・やーっぱり!!」

Tスケ:「へ?」

オレ:すげぇ能力持ってるなTスケ!!」

先ほどのTスケの解説と立て看板に記されていることは、やはりほぼ一緒だった。

Tスケ:「いやあ、ただ単に歴史が好きなんですよ」

オレ:「ただ単に好きを越えてるでしょ!知識量スゴすぎ!」

Tスケ「いやあ」ハニカミ

私も歴史は大好き。先人から学ぶ意味で様々な書籍を読んできたが、それが確固たる知識に定着するまでには至らない。

その後も道すがらの歴史解説が続いた。私は超優秀なガイドがつくことで、より学びの多き旅となっていることが嬉しかった。

名古屋を発ったのは午後3時。辺りはすっかり暗くなっていた。気づけば三重県に入っていた。

鈴鹿市辺りから山に入り、甲賀を通過し滋賀県は草津に抜けるルートを選んだ。

オレ:「甲賀に行くなら伊賀も行きたいねー」双方とも言わずと知れた忍者の里

ただ、夜であること・登りであること・遠回りとなることから伊賀に行くのはあきらめた。

そんなこんなで走っていると、草津に抜けるこの道中で世にも恐ろしい体験をする…。

正確な位置は覚えていない。何とか自転車に乗って漕ぐことのできるくらいの登り坂。

私が先頭。Tスケは私の5ⅿほど後ろ。

ちょうど私とTスケの間で「ガシャッ!」という音。

その音が2回続いたところで登りに必死(Tスケも)だった私は異変に気がついた。

次の瞬間、

ドヒュッ 

投げる音?

ヒュヒュヒュヒュ~ 

飛んでくる音?

シャン! 

破裂音!!

オレのすぐ横で水分の入った瓶が破裂!!!!

え・・・ウソでしょ・・・

真っ暗な道路の向こう側に視線を送ると、中央分離帯を挟んだ逆車線の歩道(距離にして20ⅿはないくらい)に2,3人の黒い影が笑いながら走って逃げていくのが見えた。

すぐ横で破裂した瓶はデカビタの瓶だった。

オレ:「ちょ、ちょっと、これ、当たったらだろ・・・・」

Tスケはいまいち状況がつかめていないようだった。

オレ:「道路の向こう側からオレたちに向かって誰かが瓶を投げてた3人くらい逃げていくのが見えた。」やけに落ち着いていた。

Tスケ:「本当ですか!!!」驚愕。

少し冷静になり状況を把握すればするほど、当たったらんでたと感じゾッとする。

言うまでもないが、デカビタが

当たらなくてよかった

パワー全開!全速前進!逃げるように先へ進む。

温泉で有名な草津市に入り真っ暗な海のようにでかい琵琶湖を左に見ながら再び登り。

下れば京都

京都到着は真夜中だったため漫画喫茶に入り、朝方まで過ごした。

漫喫を出るとスカッとした青空だった。

さて、別れの刻だ。

第9話に続く

おっくん

おっくん

3児の父。一度きりの人生。焦らず腐らず諦めず。
19年の教員人生に終止符をうち起業。”自然の息吹を身に纏う”子どもたちのアパレルブランドT-ockbayを立ち上げる。

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